« クロマダラソテツシジミ調査団その5 | トップページ | クロマダラソテツシジミ調査団その6 »

悲しみ

タイトルが思い浮かばない。

数日ぶりの書き込みです。

先週の金曜日、身近な人のお父様の訃報が。

土曜日から一泊どまりで葬儀に参列し、日曜の夜家に戻り、喪服を脱いだのもつかの間、今度は叔父の逝去の知らせが。

悲しい知らせは続くとよく言いますが。

こんなこともあるのですね。

「思い込みブログ」だから楽しいことだけを書こうと思っていたのですが、今回は書かずにはいられない。

いつお会いしてもにこやかに笑ってお話をされていたお父様。

子供のころから自分の子供のように私たち姉妹をかわいがってくれたおじちゃん。

心から哀悼の意を表します。

小さい頃の思い出。

よく、叔父は姪たちを愛車ボルボに乗せて、ボーリングやスケートやお食事に連れて行ってくれました。

特に、いとこたちの中で一番小さかった妹を自分の子供のようにかわいがっていました。

大人になっても、私たち姉妹のことを一番に気にかけてくれていて、Juniorたちも孫のように思ってくれていたようです。

2年半前に倒れてからは、家族とも言葉を交わすことなく、ひとりで病と闘って逝ってしまった叔父。

長い間、どんな夢を見ていたのでしょう。

願わくば、楽しい夢を見ていてほしい。

残された叔母は叔父を失った悲しみを瞬時に忘れてしまっています。

羨ましいほど仲の良かった叔父と叔母。

今のように忘れてしまうことがなかったら、悲しみのあまり叔母は・・・・。

それを思うと、今の叔母の状態は、私たちにとっても救いなのかも知れません。

老いて物忘れをすること。

悲しみの洪水に押し流されないようにする、堤防のようなものなのかもしれません。

KOBAさんからのコメントです。

叔父の意識がない・・・と知らせを受けたのは2年半前でした。慌てて病院にかけつけた時は、症状は安定していたものの、全く反応はなく、あれから一度も目を覚まさずに何にも言わずに逝ってしまいました。

私の事を娘みたいに可愛がってくれて、愛車ボルボに乗せてもらえるのがとっても楽しみでした。
思い出がいっぱいありすぎて書き尽くせませんが、とにかく優しくて人を喜ばすのが好きで、スポーツマンでブレザーが似合うかっこいい叔父ちゃんでした。

お棺の中に一緒に入っていた見覚えのあるブレザーがとっても懐かしく、元気だった頃の叔父ちゃんが思い出されて、悲しくて悲しくて・・・ただ「ありがとう」って手をあわせ、涙しました。

しっかりものだった叔母が、叔父の死を覚えていないのがのがよけいに悲しく、その反面残された叔母にとっては覚えていない方が幸せなのかなぁと思いました。

叔父と同じように私のことを可愛がってくれた叔母の意識の中から、私の存在がなくなってしまうのも時間の問題かもしれませんが、実家に行った時には顔を見に行こうと思っています。

このブログを読んでくれた従姉がメールをくれました。

父のことを思ってくれていることが、良く分かって、有難うございます。

みんなに優しく、いい父であり、いいおじいちゃんでした。

私は父に感謝しています。

この記事を天国のおじちゃんに捧げます。

たくさんの優しさと愛をありがとうございました。

                           あなたの姪より

|

« クロマダラソテツシジミ調査団その5 | トップページ | クロマダラソテツシジミ調査団その6 »

その他」カテゴリの記事

コメント

お悔やみ申し上げます。私も最近遠い血縁ですが家族ぐるみで仲良くしていた叔父が亡くなり、知り合いのご主人も同時期になくなりました。
人間というものは死を迎えた瞬間から血の通う人間でなくなるのがとても寂しくショックを受けました。
遺影をみてもお手伝いをしても涙ばかりでした。残された者は己の死を迎えるまで全うしなければならなく泣いてばかりもいられないのが現状。
でも泣き悲しむばかりでなく残された楽しみを感じるため前を向いて歩いていってほしいと思います。
両親はじめ、そのような年齢になったのかと改めて実感させられてしまいますね。mangaさんもどうか早く明るくなられてくださいね。

投稿: かおり | 2008年10月16日 (木) 08時25分

お気づかいいただきありがとうございます。

実は残された叔母に救われている私です。
叔母は今現在起こっていることを忘れてしまう症状が出ています。
叔母は、叔父が倒れて病院で眠っている姿を記憶の最後に残しているようです。
幸い、辛いことも忘れてくれているので、悲しみに打ちひしがれる叔母の姿を見ることがなく、かえって「あの人はあのままだと、まだ10年は生きる」と茶目っ気たっぷりに笑わせてくれます。
そんな叔母の笑顔は悲しみを忘れさせてくれます。

人はいろいろな方法で悲しみを乗り越えていくのだと、考えさせられました。


投稿: manga | 2008年10月16日 (木) 19時20分

久しぶりのコメントですbearingご無沙汰しちゃってごめんなさい(ρ_;)
叔父の意識がない・・・と知らせを受けたのは2年半前でした。慌てて病院にかけつけた時は、症状は安定していたものの、全く反応はなく、あれから一度も目を覚まさずに何にも言わずに逝ってしまいました。
私の事を娘みたいに可愛がってくれて、愛車ボルボに乗せてもらえるのがとっても楽しみでした。思い出がいっぱいありすぎて書き尽くせませんが、とにかく優しくて人を喜ばすのが好きで、スポーツマンでブレザーが似合うかっこいい叔父ちゃんでした。
お棺の中に一緒に入っていた見覚えのあるブレザーがとっても懐かしく、元気だった頃の叔父ちゃんが思い出されて、悲しくて悲しくて・・・ただ「ありがとう」って手をあわせ、涙しました。
しっかりものだった叔母が、叔父の死を覚えていないのがのがよけいに悲しく、その反面残された叔母にとっては覚えていない方が幸せなのかなぁと思いました。
叔父と同じように私のことを可愛がってくれた叔母の意識の中から私の存在がなくなってしまうのも時間の問題かもしれませんが、実家に行った時には顔を見に行こうと思っています。

投稿: KOBA(^_-)-☆ | 2008年10月18日 (土) 08時32分

KOBAさん私もおなじ想いです。

投稿: manga | 2008年10月20日 (月) 00時57分

ブログにおじさんのことが載っていると聞いてすぐ拝読しました。
悲しみが再び訪れましたが、みんなにやさしかったおじさんの人柄に触れることが出来て嬉しかったです。34年前おじさんの運転するボルボにリボンや缶々をつなげて、ジャスト・マリッジとばかり、教会から披露宴会場まで乗せて頂いたことを想い出しました。叔母の故里・徳島の親族一同おじさんには沢山の夢や優しさを頂きました。お世話にもなりました。心から感謝しています。お葬式の送迎車の中で偶然KOBAさんと隣り合わせお話できたこと、30年前お世話になったおじさんの妹ご夫妻にお目にかかれたこと、沢山のおじさんファミリーにお会いできたこと、天国のおじさんに感謝です。残された叔母のこと天国から見守っいて下さると思います。
投稿悩んだのですが、やっぱり書かせて頂きました。これからもどうぞよろしくお願いします。

投稿: 幸子 | 2008年11月 7日 (金) 10時43分

コメントありがとうございます。
あらためて、伯父が素敵なものをたくさん残してくれているのだと、感謝しています。

幸子さんのPCにmailさせていただきました。
こちらこそ、よろしくお願いします。

投稿: manga | 2008年11月 7日 (金) 19時05分

幸子さんのコメント読ませて頂きました。
バスでお隣になって、徳島から来られた方だという事はわかっていたのですが、後で聞いて30年前にお会いした事があっただなんて・・・あの時はなんにもわからないままべらべらおしゃべりしてしまって失礼しましたm(__)mでもほんの短い間でしたがお話できて、私も本当に嬉しかったです。
教会から披露宴会場までボルボにリボンや缶々をつなげて走ったお話、おじちゃんだからできる事だなぁと思いました。おじちゃんのシンボルマークだったボルボはいろんな所で活躍していたのですね!私の息子二人もおじちゃんの事を名前ではなく、ボルボのおじちゃんと呼んでいました。
今でもボルボが走っているの見ると、おじちゃんを思い出します。もう一度乗りたかったなぁと少し寂しい気持にはなりますが、こうしてmangaさんのブログを通して幸子さんとおじちゃんの思い出話をする事ができて、本当に良かったと思っています。これからもよろしくお願いします。

投稿: KOBA | 2008年11月10日 (月) 09時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1012851/24531630

この記事へのトラックバック一覧です: 悲しみ:

« クロマダラソテツシジミ調査団その5 | トップページ | クロマダラソテツシジミ調査団その6 »